1952-05-13 第13回国会 衆議院 法務委員会 第50号
○眞鍋委員 もう一点でありますが、きようは文部大臣も来てもらつて、私は教育的観点からひとつこの法を論じてみたいと思つて、原稿をこの通り持つて来ているけれども、きようは文部大臣が来ておらぬから、教育論はやめますが、思想の点については論議をせぬと言われたが、根源はこれである。いかに法律を出したところで、法律にひつかかるのはわずかしかない。病気もその通りでしよう。
○眞鍋委員 もう一点でありますが、きようは文部大臣も来てもらつて、私は教育的観点からひとつこの法を論じてみたいと思つて、原稿をこの通り持つて来ているけれども、きようは文部大臣が来ておらぬから、教育論はやめますが、思想の点については論議をせぬと言われたが、根源はこれである。いかに法律を出したところで、法律にひつかかるのはわずかしかない。病気もその通りでしよう。
そしてだんだん時間が過ぎて参つて、七時半ごろ中島君が、自分に何か判でも押させようと思つて原稿を書いておりましたが、そのときにMPが入つて来まして、ようやく表に出ようとしたのですが、それをさえぎられて、スクラム組んだために表に出られない。今度は仕方なく裏側の窓から飛びおりるような状態になつた。私はそのときに一番あとにつかまれまして、出ることができぬ。窓からおりようとしてもまたつかまれておりられぬ。
○住谷證人 あの事件は実はぼくは非常に注目しまして、すでに逮捕状を裁判所に請求したときに、もう当然逮捕されるものと思つて原稿を書いたのです。その翌日の新聞にそれは載つたのですが、遺憾ながら警察では逮捕状でひつぱつて來て、ちよつと調べてすぐおつぱなしてしまつたわけです。主任檢事の了解なしにつぎさんを放してしまつた。
実はそういう模範的な物の扱い方、そういうものを一つの本に纏めようと思つて、原稿も工藝指導所に頼んで作つたのでありますが、ちようど戰爭の末期の頃作りましたが、戰災で燒けまして原稿がなくなりました。